タレントコンテストのあるテレビ番組を見るのが好きでない理由を考えるとき、私の頭に浮かぶのはこれだ。考えてみれば、非常に才能のあるアーティスト(おそらく最終選考まで残れるだろう)や、才能はあるがもっと上達するには時間が必要なアーティストの中には、それほど才能のない人や、自己反省がまったく欠けている人がたくさんいる。
彼らの演技はたいてい恥ずべきもので、見ている私が彼らに恥ずかしさを感じるとしたら......。これは「The Dunning–Kruger effect」のいい例だ。
The Dunning–Kruger effect is defined as the tendency of people with low ability in a specific area to give overly positive assessments of this ability.
新たな可能性
AIに関して言えば、私が上で言ったことと似ているし、AIへの依存も見られる。それは今後数年で問題になりうると思う。
今日、AIができることを考えてみると、テキストを翻訳して多言語を話せるようにしたり、文章を完成させたり、コードの断片を完成させたり、より効果的に書き換えたりすることができる。また、絵を描いたり作曲したりといったデジタルアートを創作することもできる。
デジタルアートの場合、何を描きたいかを数文書くだけで、AIが描いてくれる。あるいは、私が幼稚園の子どものように何かをスケッチするだけで、AIが私の選んだスタイルで見栄えのする作品を描いてくれる。
可能性は非常に大きい。これは私たちの親がSF本で読んだことがあるかもしれないし、おそらく夢にも思わなかったことだろう。
そして、やってきたのは...。
私たちが去ろうとしている時代のおかげで、たとえ学校で習ったのが1つか2つだったとしても、数カ国語を話すことができる。一度も線を引いたことがなくても、デジタル・アーティストになれる。作曲家にだってなれる。
私たちの両親にはそれがなかった。作曲をしたければ、勉強しなければならなかった。他の言語を話したければ、その言語を勉強し、本や辞書を買わなければならなかった。多くの知識を得るためには、図書館に行って調べなければならなかった。私はバスを待っている間、携帯電話で調べ物をすることができる。
昔に比べればずっと簡単になったが、自分のやっていること/知っていることを過信することもずっと簡単になった。
人は新しいことを学ぶ意欲を失ってしまう。携帯電話を取り出し、必要なものを知るだけでいいのだ。 言い換えれば、彼らはバカになり、興味のある分野で自信過剰になりやすいのだと思う。
読者の皆さんはどうか知らないが、私は、私を治療してくれる医師がAIのおかげで学校を卒業したために知識が不足しているからと言って、AIを使ってほしくない。
最後に何を言うべきか?
私はAIに反対しているわけではないし、新しい技術の進歩は好きだ(私はオタクと呼ばれるような人間だ)が、近年、人々がAIに頼りすぎているのを目にする。個人的には、「AIが知っている」という理由で学校の試験の準備をする必要さえない個人を知っている。
新しい技術を使うのは悪いことではないが、その使い方を考えよう。
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